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WebGuide秩父は秩父のポータルサイトとして秩父のさまざまな情報を発信しています

取材日 : 2011年12月28日

秩父神社の師走の様子(秩父市)

今年も残すところあと僅かとなり、秩父神社には、新年を新しい氏神様で迎えようと、お札や松飾りなどの「お正月様」を求める人で賑わっています。

正月飾りを売る露天が立ち並び、しめ縄や松かざりを求める姿が多く見られました。

取材日 : 2011年12月27日

子供歌舞伎が義援金を贈りました(秩父市)

12月27日、秩父市役所市長室にて、萩平歌舞伎保存会及び花の木小学校歌舞伎クラブの児童・生徒が、歌舞伎公演での“おひねり”を、東日本大震災の被災地への義援金として、秩父市長を通じて贈りました。

10月23日に開催された、第14回萩平歌舞伎舞台公演で演じた、地元尾田蒔小中学校の児童・生徒14名と、今年の秩父夜祭の中町屋台で歌舞伎を演じた花の木小学校歌舞伎クラブ10名が、久喜秩父市長の元を訪れ、公演の際、観客からいただいた“おひねり”を東日本大震災の義援金として、萩平歌舞伎保存会は19,467円、花ノ木歌舞伎クラブは15,200円を寄付しました。

歌舞伎を演じた児童・生徒からは、「秩父の伝統芸能を通じ、日本文化の大切さを知りました。その際、皆様いただいたおひねりを、このたびの震災で被災した人たちの復興のお役に立ててください。」と、力強く語っていました。

取材日 : 2011年12月21日

宝登山山頂のロウバイ※昨年度の様子

長瀞宝登山山頂のロウバイは、例年ですと、冷え込みが進むこれからの時期に見頃を迎える予定です。約2,000平方メートルの園地に約2,000本のロウバイが咲き乱れます。

 

見頃は1月上旬~2月下旬の予定です。詳しくは長瀞町観光協会へお問い合わせください。

※写真は昨年度の写真です。

取材日 : 2011年12月19日

水辺再生100プラン 吉田川現場披露会(秩父市吉田)

12月17日(日)、秩父市吉田町、吉田元気村にて、吉田川現場披露会が開催されました。

埼玉県では、「水辺再生100プラン」として、平成20年から県内100箇所の川の整備を行っています。

水辺に近づきにくい状態だった吉田川ですが、スロープや階段状の護岸の整備・雑草を除去して砂利の河原を復活させ、多くの人が集い憩える水辺空間となりました。

また、既存のフジを活かすよう、藤棚と花壇が設置され、花の名所としても期待されます。

当日は、水辺サポーター認定式や稚魚の放流、源流会による秩父屋台囃子の披露がされました。また、上吉田の西町会の方達による、豚汁やピザが振る舞われたり、風船やブルーベリーの苗木が配られ、大人から子供達まで楽しめるイベントになりました。

※今回の取材に当たり、埼玉県県土整備事務所様のご理解とご協力をいただきました。

取材日 : 2011年12月14日

お宝登山・長瀞アルプストレイルレース(長瀞町)

今年で5回目を迎える「お宝登山・長瀞アルプストレイルレース」が、12月11日(日)に開催されました。

※今回の取材にあたり長瀞町観光協会様のご理解・ご協力を頂きました。

本大会はトレイルラン・レース・ハイクの3コースに分かれ、出場者の脚力に応じたコース設定となっています。

 

・トレイルランはコースの約7割が山道のタイムレースで、約16kmのコースを駆け上がる上級者向けコース。

・レースは約4Kmの道のりを男性は8kg、女性は6kgの砂利を背負い、タイムを競いゴールを目指す中級者向けコース。

・ハイクはコース、距離は「レース」と同じ。男性は8Kg、女性は6Kgの砂利を背負い、マイペースで山道を歩く初級者向けコース。

今年は最近のランニングブームを反映して、約440名を超える参加があり、晴天に恵まれた長瀞の景色を楽しめるレースとなりました。

取材日 : 2011年12月12日

八幡神社鉄砲まつり(小鹿野町飯田)

秩父路に本格的な冬の訪れを告げる、小鹿野町・八幡神社例大祭「鉄砲まつり」が12月10日(土)・11日(日)に行われました。※取材日:12月11日(日)

このお祭りは、元々は豊猟祈願や猟師の試し撃ちが起源とも言われています。

境内周辺では地元の人達による屋台歌舞伎の上演や屋台の引廻しも行なわれ、とても賑やかです。

また、神社へと続く参道には多くの露天が並び、地元の人はもちろん、多くの観光客が訪れ、普段は静かな山間の神社参道も、祭り関係者や見物客でごった返していました。

クライマックスは、11日夕方4時頃に行なわれた「お立ち」の神事です。まず最初に高張提灯を持った氏子、二組の大名行列が鉄砲の砲火を走り抜けた後、二頭の御神馬が石段を駆け上がる「お立ち」と言われる神事が始まると祭りの雰囲気は最高潮に達し、大勢の観客から拍手がおきました。このお祭りが終わると、秩父路には本格的な冬が訪れます。

 

 

 

まちなかイルミネーション点灯式(秩父市)

昨年から行われている「まちなかイルミネーション」の点灯式が秩父神社前の妙見の森で行われました。

来場者には蛍光ブレスレットが配られ、子供達がそれを手にして楽しそうに駆け回っているのが印象的でした。

イルミネーションは市内の10カ所で実地されています。いつもとは違う、ロマンティックな秩父市街の夜を散策してみてはいかがでしょうか?

 

会期 2012年1月15日まで

点灯時間 17:00~21:00

 

 

取材日 : 2011年12月6日

秩父夜祭り12月3日大祭(夜)の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

2日宵宮の様子はこちら

3日大祭(昼)の様子はこちら

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

午後7時頃、提灯で飾られた6台の屋台・笠鉾が、御神幸行列を先頭に約1キロ離れた御旅所を目指し、秩父神社を出発します。

秩父神社周辺や秩父駅前などはたくさんの人で賑わっていました。

御旅所の手前にある難所「団子坂」を屋台・笠鉾が登る時が、秩父夜祭のクライマックスです。重さ約20トンと言われる屋台・笠鉾が団子坂を引き上げられると、団子坂周辺の見物客から歓声が上がり、約7,000発の色鮮やかな花火が打ち上げられ秩父路の夜空を彩りました。

 

※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。

秩父夜祭り12月3日大祭(昼)の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

2日宵宮の様子はこちら

3日大祭(夜)の様子はこちら

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

3日午前中に予定していた下郷笠鉾・中近笠鉾の引き回しは午後のみの奉曳となりました。しかし昼過ぎには雨が上がり、多くの人出で賑わいました。

秩父市内各所で勇壮な秩父屋台囃子と威勢の良い囃子手の「ホーリャイ、ホーリャイ」の掛け声が響き渡りました。

 

 ※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。

秩父夜祭り12月2日宵宮の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

3日大祭(昼)の様子はこちら

3日大祭(夜)の様子はこちら

今年は大祭が土曜日にあたり、約26万5千人の人出で賑わいました。

2日~3日の午前中は雨天のため、屋台・笠鉾にビニールシートが被せられてしまいましたが、各町会の豪華絢爛な屋台・笠鉾が町内を曳き回されました。

 

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。