和銅会報
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和銅会報 第22号 平成19年6月29日発行

第21号 第22号 第23号
秩父学の発展と深化を求めて
−和銅奉献1300年記念事業構想−
 おおよその時期は【和銅改元日】1月11日、【聖神社例大祭】4月13日、和同開珎 銀銭 発行日】5月11日、【和同開珎 銅銭 発行日】8月10日に焦点を当てて設定します

【秩父 和銅祭】
 今から76年前、大正8年(1933)、和銅奉献1225年祭が秩父で盛大に 行われた記録があります。先人の意気にならって1300年祭をと考えています。

【黒谷獅子舞大行列】
 沿道を菜の花が真っ黄色に染める中、修復成って燦然と輝く古竜 頭を先導に、獅子の行列は東昌院を出発し、黒谷町内を錬り、聖神社へと向かいま す。途中、獅子舞の披露も計画されています。

【わどう俳句まつり】
 3回目に入り、たくさんの参加作品の木製大型短冊が、和銅遺跡見学 道を飾り、散策の皆さんの目を楽しませてくれるでしょう。

和銅奉献1300年記念バザール(新設施設をめぐって)
和銅の店名、商品名を持つお店の参加歓迎です。
ウオークラリー「和銅探索」 チェックポイントの工夫で、学習と興味の両立する探索シンポジュウム「秩父と和銅(仮題)」 日本の和銅を秩父で考える幅の広さ、質の高さを求めます。

和銅と和同開珎へ!こぞって始動−ムカデの部−
◆古老健在
 黒谷に生まれ住んだ人なら、だれでも聖神社や和銅のことはよく知っています。
ここに紹介する小池金作翁は、わけても正確な語り部のお一人でいらっしゃいます。
 この文章を金作翁は、半日足らずで、自らの手で、自らの筆で書き上げてみせてくれたのです。大正9年(1920)生まれの米寿、今年88歳です。昔の戦友会会報へ寄稿しようと書いたものだそうですが、拝見させていただいて、われらの長老88歳がすらすらと書いて、この正確な内容とはと驚き、黒谷の宝だと感動して早速いただいてきた次第です。

秩父市和銅保勝会相談役 小池金作

 私達の故里、武蔵の国、秩父黒谷の里は、今から1300年も昔、慶雲5年正月、我が国で初めて和銅が発見されて、これを時の帝元明天皇に献上した名誉ある里です。天皇は非常におよろこびになって、文武百官を率いて奉祝に行くべきだが、遠い武蔵の国までは行けないから、その代わりに銅製の百足雌雄一対を御下賜されて、武蔵の国はその年の庸調を免じ、勅使として多治比真人三宅麻呂を下向させ、山麓の清浄地に神祠を建立し高齢者には籾を賜り、孝子節婦を厚く表彰し、官吏には位一階を上げ、罪人の刑を軽減し、国をあげて盛大な祝典を催したとの事です。
 今、和銅奉献1300年祭を明春に控え、行政並びに和銅保勝会を中心に、住民一同一心に取り組んでおる処です。私共、これがめでたく成功致します様、心から祈念致しておる処であります。



◆旺盛な意欲に応えよう
 毎年、6月頃、原谷小学校へ行って3年生に和銅の話をすることになっています。私にとっては大変楽しい時間です。今年は6月8日、27名の児童に「和銅の遺跡と和同開珎」の話をしました。数日して、話を聞いた全員の児童からお礼の手紙をいただきました。よく聞いてくれて、素晴らしい感想をたくさん寄せていただきました。
『きょう3時間目に3年1組で若林先生がわどうかいちんの話や、聖神社の話をしてくれました。ぼくは、わどういせきに行ったことがないので、楽しみでした。ぼくは聖神社の神様がムカデとしって「ビックリ」しました。ぼくはムカデがあまりすきじゃないので、何びきもころしてしまって、ぼくは、こんどからころさないでやりたいと思います。』 (3の2 山崎太暉)

『今日はお話をして下さってありがとうございました。和同開珎の本物は聖神社にあること、お金の大もとは和同開珎だということとか、聖神社と和同開珎のことがすごくよくわかりました。』(3の1 笠原祐菜)


◆案内・説明施設の整備進む
 今年3月の秩父市議会での栗原市長の施政方針の発表は、和銅遺跡の保護、顕彰を掲げる秩父市和銅保勝会を力づけるものでした。この方針に従い着々整備が進むことで、奉祝事業の明るい展望が拓かれます。

和銅遺跡周辺整備事業について申し上げます。平成20年は「和銅奉献1300年jの記念の年に当たるため、同年に行われます「日本100番観音報恩総開帳」とあわせて、歴史的遺産を見学できる観光スポットとして積極的にPRし、観光誘客を図ってまいります。本年度は遺跡付近を中心に指導標や和銅ゆかりの地の説明板を設置するとともに、休憩所を新設し、この中に元明天皇御下賜の雌雄一対の銅製ムカデ等のレプリカを置くなどして、古代のロマンを体感できる観光拠点として整備してまいります。
秩父市長 栗原 稔

和銅製「蜈 蚣」
−その神秘をめぐって−
−若林 好−
 古くは、因幡の白兎でよく知られている大国主神が、「魔法の布切れ」である「領布」を振って、蜈蚣を追い払う話が「古事記上つ巻」の『大国主神・根の国訪問』という中に出てきますが、この蜈蚣を筆頭にして、神話から伝承にと蜈蚣の話はかぞえきれない程あるようです。
 鞍馬寺では、蜈蚣は毘沙門天のご眷属であるとか、赤城神社の鳥居には蜈蚣の彫刻があって、赤城山の神は蜈蚣だと伝えられたりして、俵藤太の話にまでつながっています。
 聖神社に伝えられる雌雄一対の和銅製蜈蚣は、言うまでもなく和銅発見、献上の時代にさかのぼっての話になります。和銅献上を喜ばれた元明天皇が、文武百官を遣わして祝意を伝えるべきところ百足の「百」になぞらえて「和銅製蜈蚣」雌雄一対を下賜されたと伝えられています。
 そして、蜈蚣が聖神社のご眷属とされたのには、たくさんのいわれが語り継がれています。中でも銅の採掘坑の形から百足穴という呼び方があり、その百本の足にあやかって鉱業が長く栄えるようにとの祈りがこめられているという説などが有力です。
聖神社蔵 和銅製蜈蚣


 さて、時代が下って科学の力による研究の成果が見られるようになりましたが、何と言っても大変な衝撃を受けたのは平成4年(1992)8月の『神となった蜈蚣』命名論文でした。埼玉県立自然史博物館(秩父郡長瀞町所在)発行の「自然史だより」第18号で、当時企画課長だった駒宮史朗氏が「蜈蚣を神として崇めた古代人のおおらかな感性」を論究する標題が『神となった蜈蚣』だったのです。
 さらにこの論文を受けての、同じ「自然史だより」第20号(平成5年(1993)3月)の中村修美氏の『「神となった蜈蚣」は何ムカデ』が、また圧巻でした。駒宮氏が「体節や脚節など細部の形も忠実に表現され、名工の手になる鋳造」と科学の目から確証を与えられた「和銅製蜈蚣」を、中村氏は更に生物学的に考究して、「神となった蜈蚣」を真に神ならしめた古代人の透徹した眼と神秘的とまで言えるような豊かな創造力に対して鋭い切り込みを見せてくれました。それは見事と言うより他はありませんでした。
 そこで、中村論文に従ってモデルとなったムカデの特定に進みますが、分かりやすくするために箇条書きにして整理してみます。脚の数が重要な決定要因になっているようです。

和銅蜈蚣のモデルは何ムカデか?
(1) ムカデの種類―日本で知られているもので120種類あります。
(2) 120種類のムカデは、それぞれの大まかな特徴から四つのグループにまとめられます。
A.ゲジ:脚は15対 触角(俗に言う「ヒゲ」)と脚は体長より長い。
B.イシムカデ:脚は15対 触角と脚は体長より長い。
C.オオムカデ:脚は21対か23対
C.ジムカデ:脚は29対以上
【和銅蜈蚣の脚 雌が22対 雄が20対】

◎脚の数から推定すると、和銅蜈蚣はオオムカデに最も近くなります。
(3)オオムカデ オオムカデ属
脚は21対、和銅蜈蚣と比べると雌雄とも1対違い
アオムカデ属
脚は23対、和銅蜈蚣と比べると、雌は1対少ないだけですが、雄は3対も少ない

◎雌雄とも1対違いの和銅蜈蚣は、オオムカデ属に近くなります。
(4)体の長さ
オオムカデ属
アオズムカデ 体長8p(最長でも)
トビズムカデ 体長13p
【和銅蜈蚣は雌14・4p 雄13・9p】

◎体の長さからすると、トビズムカデに近くなります。

【結論】
和銅蜈蚣はオオムカデのなかのトビズムカデをモデルにつくられたと推論できます。


「神となった蜈蚣」の脚の数
 中村さんの生物学上の見地から言えば「和銅蜈蚣の脚の数は、現実には存在しない数」ということになります。オオムカデなら21対か23対です。形、大きさ、形態など本物そっくりにつくられているのに、なぜ脚の数だけが違っているのでしょうか。誤りにしては、余りにも軽率というか迂闊としか言いようがなく、これほどまで正確な観察力を持った名工が間違えるはずはないと思った中村さんは、雌と雄の脚の数が異なっていることに目を付けたのです。
 ムカデの雌と雄とを外見で見分けることは、生物学の専門家でもなかなか困難なのだそうです。これほどまで正確にムカデの特徴をとらえて「和銅蜈蚣」を鋳造した作者も、その区別に苦心し、自分のつくった蜈蚣でも外見上は雌雄の区別はできないが、モデルのアオズムカデの脚の数、21対に1対足して雌を22対にし、雄を1対少ない20対にして、雌雄を区別しようとした工夫から「神のムカデ」は生まれたと中村さんは推定したのです。
 間違いなく名人の手で「神となった蜈蚣」はつくられたのです。そして、駒宮さんと中村さんの鋭い観察眼と、豊かな想像(創造)力を得て「神となった和銅蜈蚣」に、今、私達は対面できることになったというわけです。平成5年の和銅採掘遺跡調査委員会の報告書は、「触角をわずかに持ち上げゆるやかに体をくねらせている雄、体をぬたりと曲げた雌」と、これも又、その生態を伝えて余すところがありません。

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