和銅会報
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和銅会報 第11号 平成8年9月15日発行

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和銅ものがたり
・・秩父市の秩父鉄道黒谷駅の東側に和銅遺跡公園がある。8世紀のはじめ、日本で初めて自然銅が発見された場所で、ここで採掘された自然銅は、慶雲(けいうん)5年(708)大和朝廷の元明(げんめい)天皇に献上(けんじょう)された。・・

 と、今年、平成8年の正月に発売になった「まんが「埼玉の歴史」」の中に黒谷が紹介されています。このまんがは、5巻に分かれていますが、埼玉県の歴史研究の第1人者、小野文雄先生が監修(かんしゅう)・原案作成に当たっている立派な本です。

 さて、このように日本の歴史に残る「和銅の発見」「和銅の献上」「和銅改元(わどうかいげん)」(年号を和銅と改めた)「和同開珎(かどうかいほう(ちん))の発行」という大きなできごとを今に伝える黒谷の「和銅の遺跡」をめぐって、「和銅ものがたり」を始めます。

和銅山に露天掘りの跡がある
 黒谷駅近くの国道140号から東の山を見ると、小さな山の頂の岩に白ペンキで大きく書かれた「和銅」という字が見えます。この山は「祝山(いわいやま)」と言いますが、この尾根続きになっている奥の方の少し高い山が「和銅山」と呼ばれる山です。この山の北側、つまり「和銅澤」側に1300年もの昔、銅が掘られた跡が2すじ残されているのです。

 もっとも、露天掘りと言われるとおり、銅は地殻の変動の結果、山肌の裂け目から押し出されていましたから、深く掘る必要はなかったのです。その跡を見学コースを登って上から見ると、当時の様子が手に取るようにわかります。
 ここは、いわゆる断層(地面がある面をさかいに上下方向にずれているところ)なのです。そこに地殻変動の結果、純粋に近い銅が地表に出てきていたのです。それは何億年という長い長い地球の歴史の中で生まれ出てきたものです。その黒谷の純銅が発見されたのが、日本の歴史でいうと奈良時代に入る頃のことだったのです。

 当時、中国や朝鮮半島の新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)を通して、日本に大陸文化が入ってきていましたが、中でも青銅製品への我が国のあこがれは大きかったのです。輸入に頼るだけでなく、外国の進んだ技術を持つ人を招き、国内に鉱床を発見して、金属文化の発展をはかろうとしていました。

 武蔵国(むさしのくに)(現在の埼玉県や東京都などが入る大国)の周辺にも朝鮮半島からの帰化人(いままでの国籍をはなれて日本人になること)が、かなりたくさん住んでいました。鉱業の技術を持ち鉱床を探している人もあったと思われます。そんな状況の中で、蓑山(みのやま)の麓から和銅が発見されたのです。

 発見したのは、従6位下(じゅうろくいのげ)という偉い位にあった日下部宿禰老(くさかべのすくねおゆ)、同じ位の津島朝臣堅石(つしまのあそんかたしわ)と新羅からの帰化人と言われる無位の金上无(こんじょうむ)の3人でした。中でも金上无は採銅、鋳造の知識や技術の面で、すぐれた力の持ち主であったようです。

 時は元明天皇の慶雲4年、秋の頃でした。後になって「和銅山」と名付けられた山の頂から、下を流れる沢になだれ落ちる岩石に偶然目をとめた3人は、それが自然銅の結晶だと判って、大変驚くと共に、鉱脈を発見したことを大いに喜び合いました。

 そして、このことが朝廷に知らされ、和銅(にぎあかがね)(自然に生じた非常に純度の高い銅。「熟銅」)が献上されました。「瑞祥(ずいしょう)だ(良いことのおこる前兆だ)」と、これを国中の喜びとし、貧しい人々には物を与え、罪人の罪を許し、さらに、年号を「和銅」を改めることにしました。和銅元年(708)1月11日、今から1288年前の正月のことでした。

 お祝いとして、役人達にはそれぞれの上の位が与えられました。和銅発見者の3人はそろって従5位下を授けられたのです。無位であった金上无が、このように高い位を授かったことは、銅の発覚がどんなに大きな手柄であったかということを物語っています。武蔵国では、その年の庸と調(ちょう)(税金として地方の特産物などをおさめた)の義務が免除されました。天皇は「鋳銭司(ちゅうせんし)」という役所をつくり、5月と8月には日本で初めてのお金が作られたのです。これが和銅開珎です。

 和銅と深い関係にある聖(ひじり)神社には、当時から伝わる銅鉱石や和銅開珎などが御神体、御神宝としてまつられています。

 *次号では、「和銅開珎」のお話をします。この「和銅ものがたり」は、小学校や中学校の皆さんにも読んでもらえるようなものにしたいと思って書いています。古い歴史のことなのでどうしてもむずかしいことにもなりますが、毎回、おしまいのところに「参考事項」(註(ちゅう)と言ってよいと思います)をつけておきますので、話を補ったり、さらに深く研究する手がかりにしたりしていただきたいと思います。

「参考事項」
1.まんが「埼玉の歴史」発行・埼玉新聞社 作画・蛭田 充  定価・各巻1500円
2.慶雲5年「きょううん」とも読む。1月11日で和銅と改元。
3.元明天皇「げんみょう」とも読む。
4.和同開珎「わどうかいほう」とも「わどうかいちん」とも読まれます。注意すべきことは、お金は「和同」、年号は「和銅」と、字が違うことです。文字のこと、読み方のことなど「和同開珎」のくわしい話は次号からになります。
5.祝山 硫黄山(いおうやま)と言われたりしますが、原鉱石を鋳造する時、硫黄を抜く作業がありますので、硫黄山と呼ばれるのも、まんざら理由のないことではありません。今では公図の小字(こあざ)が「祝山」になっています。
6.露天掘り跡 科学的には、「出牛(じゅうし)−黒谷断層」に含まれ、いわゆる秩父古生層と第三層の合わさり目にあります。
7.和銅澤 銅泉(どうせん)銅洗掘(どうせんぼり)(どうねんぼう)が含まれる沢で聖神社の前を流れて、荒川に注いでいます。
8.蓑山 今は「美の山」(区名は美野山)ですが、古い記録では「箕山」とも書かれています。
9.和銅発見者 これらのくわしい記録は、「続日本紀(しょくにほんぎ)」と言って、延暦(えんりゃく)16年(797)にできた奈良時代の根本史料で、文武(もんむ)元年(697)から約1世紀にわたっての歴史書の中に書き残されています。

▲今号から活字を大きくしました。「読むやすく、分かりやすく」をモットーに編集をしたいと思います。

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