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| 和銅会報 第4号 平成7年6月30日発行 |
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紙上・和銅案内(その3) 黒谷の銅製錬所跡・金山鉱山跡 |

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前号の「和銅採掘露天堀跡」については、遺跡の主要部分である2条の採掘跡等のかなり詳細な解説が必要になりますので、後刻紙面を十分とってご案内いたします。先を急ぎまして、金山方面に参ります。 先ず、案内図をみておわかりのように、黒谷駅から右回りでも左回りでも、製錬所跡と鉱抗の見学はできます。所用時間は黒谷駅出発−黒谷駅帰着として、見学方法にもよりますが、ただ見て通るだけでも最低2時間、ある程度丁寧な見方をすると半日近くかかると思わなくてはならないでしょう。 和銅鉱泉の裏から登るコースをとるとして金山の登り口から数えて6本目の道標が製錬所跡を示します。2枚の説明板が立っていますが、その1枚を紹介しましょう。 |
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和銅製錬所跡 所在地 秩父市黒谷 この製錬所跡には、選鉱所、鋳型・溶鉱炉破片・鋳銅製仏像・古式煙管首や砕かれた鉱石。製錬の際のカラミが発見され、銅製錬所跡として、昭和31年3月市史跡として指定された。 この付近に現在ものこる5ケ所8本の鉱坑及び埋没・欠壊した数本の鉱坑は、横堀坑である。 堀進は、火薬使用でなく全部ノミによって進められたもので、この風化度から約300年から500年前と推定される。 しかし、この横堀坑跡は、歴史上の年号である和銅との関係はない。 (金山鉱山見取図)略 (溶鉱炉(正面・断面図))略 昭和五十七年三月 埼玉県 |

私作黒谷往来 (その3) 倉林安雄家文書 |
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(「四郎坂を這上がりバ六地蔵」に続く)御堂立道天水 閘白山森も見へ候 扨又禅家の法雲時 本尊には虚空蔵 鮪をよして 奥の院 鼻の高いが金毘羅山大権現 長畑開帳山 土俵場を拝し奉 最早其日もすぎのさわ こぐれとなりて硫黄院 つけぎにつけてあかしみる 石塔名湯小松原 吉○沢を跨で 桐の木と 茶屋まで急来つゝ ここにしばらく休足し たばこ呑付 数多放下師 独楽巡しにハ大神楽 諸芸見物尽れて はるか向を見あぐれハ 金山たかん上 風はやだいのいりとて 大堤堀を跨げバ天王社 あつき祭の事なれば 堀の内へ下り水なき故に 前沢をあそびてのぼれバ 西光寺 是ハ古跡で 観音堂下ハ前原 ぬくひ所が2軒有 寒ひところが上小河 天神下を東へ行 上ノ原へと そねさかあてに欠出 かさのまいより 下のまいへ ほのかに見れバ 瑞岩寺 あらあら穴かしこ 「注釈」 ★御堂(古地名・現在竹の入薬師堂に安置されている) ★立道(地名・屋号) ★天水(小字名・天水田圃) ★閘(地名・屋号「樋の口」) ★白山森(地名・屋号「おはく」) ★法雲寺(松永山と号して本尊虚空蔵菩薩を祀る) ★鮪をよして(さばを読むといわれ鮪をごまかすことが多いのでいう) ★奥の院(妙ケ峠中腹に山寺、山居寺などの古跡がある) ★鼻の高いが金毘羅山大権現(現在庚申立像が祀たれている、こんもり高い山) ★長畑(地名・山寺跡地前の平担地) ★開張山(地名・金毘羅様の祀られていた所から南面) ★土俵場(地名・金毘羅様の開帳時相撲を奉納した所) ★すぎの沢(杉沢、黒谷区、金山区の境界沢) ★こぐれ(小字名「小榑」) ★硫黄院(寺号・新編武蔵風土記稿に「醫王院藥師山曹洞宗本尊藥師如来」とある) ★石塔(硫黄院参道に「巳待塔」享保13年戌申年11月吉日、「庚申塔」享保の銘、「188箇所供養塔」安永3年甲午2月吉日、「二十二夜待塔」天明8年戌申11月吉日の4塔がある) ★名湯(屋号「堂の前」の西側に湯場があった )★小松原(地名・屋号) ★吉○沢(きくち沢と読むか、解読不能) ★桐の木(地名・屋号) ★茶屋(屋号) ★金山(小字地名) ★たかん上(地名・高見山、見張山) ★だいのいり(小字地名) ★天皇社(上黒谷八坂神社殿) ★堀の内(小字地名・屋号) ★西光寺(旧寺号・現屋号「せえこうじ」) ★前原(小字地名・めええぱら) ★ぬくい(地名・屋号「ぬくい」、「温湯」) ★天神下(地名・屋号「天神森」) ★上の原(小字地名) ★そねさか(小字地名・曽根坂) ★かさのまい(屋号「かさの前」)★下のまい(屋号「したの前」) ★瑞岩寺(新編武蔵風土記稿によると「融興山と号す。曹洞宗大宮郷廣見寺未なり。本尊十一面観音とあり」 (今回で「黒谷往来」は終わりますが、この種の文書等をもとに古来の地名をたどり、黒谷の歴史を更に深めてまいりたいと思います。) |
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