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| 和銅会報 第2号 平成7年4月1日発行 |
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紙上・和銅案内 指導標(和銅案内の道しるべ)改修進む |
現在、ふるさと歩道・コース指導標は、和銅関係のものだけでも約40本立てられています。今度そのうちの26本が新しく立て替えられることになりました。この機会に、和銅遺跡の紙上散歩ということで、指導標の立っている所を中心にして見学のポイントなどを確認してみることにしました。 1.黒谷駅→聖神社→和銅採掘露天堀跡→金山採掘道2.黒谷駅(鉄道利用の場合)→法雲寺前→金山採掘道・精練所跡入り口(たかて・町田邦男氏宅下)→金山採掘道→和銅採掘露天堀跡→聖神社 3.瑞岩寺(札所1番方面からの場合)→金山採掘道・精練所跡入り口→金山採掘道→和銅採掘露天堀跡→聖神社の3通りのコースが一般的には考えられると思います。 先ず、1.のコースを歩いてみましょう。黒谷駅のホームに立ってみますと、東の山に大きな「和銅」の白ペンキの文字が目に入ります。祝山(いわいやま)です。国道を熊谷方面へ200メートルと行かないうちに右手が聖神社・和銅遺跡入り口です。 鳥居をくぐり石段を登ると手洗井(みずや)。そこにある説明板を手掛かりに見学を始めてみましょう。「聖神社と周辺の文化財」ということで「聖神社の社殿」「黒谷の獅子舞」「蕨手刀」「和銅採掘の遺跡」の説明があります。とりあえず「和銅採掘の遺跡」を読んでみましょう。 |
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「解説」 (1)西暦708年 和銅元年(1月11日) 1月 武蔵国より銅を献上、よって改元する。 2月 催鋳銭司(さいじゅぜんし=銭貨の鋳造を監督する役人)をおく。平城の地に新都造営の詔がでる。 5月 銀銭(和同開珎)を発行する 8月 銅銭 (和同開珎)を発行する (2)銅洗堀は「とうねんぼう」、殿地は「どんじ」などと古くから呼ばれてきました。蔵人屋敷は「蔵人屋(くろうどや)」といわれ、「久呂谷」から「黒谷」の起源とも言われています。」 手洗井からなお石段を登ると、正面が聖神社礼拝殿・本殿です。右手が社務所、左手が「蕨手刀(わらびてとう)」などが納められている「和銅鉱物舘」です。神社の参拝、見学がすんで、いよいよ「和銅採掘露天堀跡」へ出掛けます。(以下次号) |
私作黒谷往来(その2) 倉林安雄家文書 |

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瀧の沢 澤端 落合 清水に二ツ井戸 爰に禅家の大寺なり 久長の天徳寺を摸れたり 三界にハ 峯松山東昌院 文殊寺とてあらた也 西は荒川大還也 堂坂を下りて 櫓谷戸に登りて 東を打詠 黒谷有 此のがん石なり 麓に山根子の神 寺の前ハ 閻魔堂成けれバ 中に少時逗留し 拝する物ハ赤鬼青鬼 正塚様にハ 道妙人 道将人に 大仙武君国安天女 さゐの河原を這い出て 石の地蔵や 禁輩(葷?)酒 千部庚申塔 油石を撫でさすり 四国88ヶ所日本百番納経塔 女意輪と拝し 馬頭にうち乗り 宿谷戸 下田字招き坂 銅銭堀とて名瀧有 浴て登れバ澤向 西川原 地蔵院にハ 百躰地蔵の石佛 「注釈」 ★滝の沢(地名・屋号) ★沢端(地名・屋号) ★落合(横ようと栃木沢の合流点。合流して下川(したがわ)になる) ★清水の二ツ井戸(東昌院内にあった。現在は護岸工事で消滅) ★東昌院(曹洞宗に属する開山は傑州椿和尚・天正18年4月2日示寂 開基は東昌院喜翁宗歎庵主・元和2年正月3日没 本尊文殊菩薩は慶雲年時に和銅山より掘り出したものと言い伝えられている。(新編武蔵風土記稿による)) (★落合・清水・二ツ井戸の東に「文殊堂跡」の地名が残っている) ★堂坂(昔、閻魔堂前の大還が下川橋をはさんで大きく下り坂になっていた。その名残の地名。下川の先は荒川で、札所10番の本尊聖観音が祀られていたと言われる観音堂の跡地がある) ★櫓谷戸(「やごろ」の屋号で残っている。往時、櫓を建てて自宅を建築したとつたえられている) ★東を打詠 黒谷有(「東をうちながむれば、黒谷あり」で、新編武蔵風土記稿に「山に沿って木が黒く伸び茂った山谷なので黒谷と呼んだ」とあるのに呼応している。「東昌院の森から下川沿いに、東に向かって滝の沢そして野老沢と、蓑山山頂までが黒木に覆われていたから黒谷といわれた」という古老の言葉もあるという。 ★此のがん石なり(硫黄山のことである。黒谷全体は、平担地から山間部入り合いが砂岩砂礫岩粘板岩からなる急峻な低い山の連なりであるが、硫黄山だけは石英が多量に混じる黒色の片岩山である。作者は硫黄山も黒谷の知名の起源としているのである) ★山根(屋号) ★子の神(地名・屋号) ★寺の前(屋号) ★閻魔堂(屋号祢の神の祖先が修復代として畑八畝を付けて寄進した) ★石の地蔵(「南無地蔵菩薩」享保4年8月村中) ★千部(「千部供養塔」享保10年4月) ★庚申塔(「庚申」天保7年林鐘上院当所講中) ★油石(北谷戸石家先祖代々の奥津城とし、東昌院の墓地内にある) ★四国88ヶ所日本百番納経塔(「奉納供養塔天下和順四国西国秩父坂東日月清明」願主八十吉 嘉永元年 三友清家所有) ★如意輪(天明他未詳) ★馬頭(馬頭尊は所在不明) ★宿谷戸(屋号) ★下田字招き坂(地名「字下田招木坂」招木の地名は黒谷から始まる) ★銅銭堀とて名滝あり(地名「どうねんぼう」と呼ばれている。和銅区と大下区の境沢) ★沢向(地名・屋号) ★西川原(地名・屋号) ★地蔵院にハ百体地蔵の石仏(耕福山と号し本尊地蔵菩薩。現在廃寺となり墓地と50体程の地蔵がある) |
和銅保勝会−連絡・案内− |
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美の山及び和銅史跡・金山周辺の清掃 平成7年5月4日(日)の予定です。 (秩父市・上黒谷町会・下黒谷町会・和銅保勝会の共同事業になります。) |
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