和銅会報
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和銅会報 第1号 平成7年2月23日発行

第1号第2号

「和銅会報」発刊に当たって(挨拶)
和銅保勝会 会長 太田口八郎
 1200有余年の歴史を持つ和銅史跡を広く市民に知らせ、これを永く後世に伝えるため、このたび和銅保勝会では、和銅会報を発刊することになりました。
 和銅史跡については、古くから伝説的に言葉で一部の人が伝え、また歴史研究者、郷土史愛好家等によって著書にもされてまいりましたが、秩父市民として私達の手でこの史実を正しく知り、伝え、和銅史跡の顕彰と保護に努めると共に、地域住民の声を広く求め反映させ、意識の高揚を求めるため、この会報を発刊することになりましたので、皆様方にはよろしくご協力の程お願いいたします。


「わどう」の話 和銅の昔
和銅と和同
 露天堀りの跡が残っているのは「和銅山」で、そこに建っている大きな模型貨幣の碑の文字は「和同開珎」です。この「和銅」が日本の歴史の上に、記録として現われたのは、今(平成7年)から1287年前のことです。西暦708年、慶雲5年正月のことでした。

 これらのことが書かれているのは「続日本紀(しょくにほんぎ)」という書物で、和銅献上の時からわずか90年後に作られています。奈良時代を知る上で最も大事な史料の一つとされているものです。その中に、はっきりと武蔵国秩父郡から「和銅」が献上されたこと、これを喜び祝って「和銅」と年号を改めたということ、そして銀銭・銅銭が作られたことなどが書かれています。

 これが、「和銅」や「秩父」という文字が史料の上に出てきた始めです。「和同開珎」のことは直接書かれてはいませんが、時代が下って発掘されたものの中に「和同開珎」という文字のある銭があり、史料研究の結果、「和銅」の時代に鋳造された銭が「和同開珎」であることがわかりました。「和同」は銭貨に関係する文字と考えられますので、「和銅」という文字とは区別しなくてはなりません。

1.「和銅」とは自然銅のことで、年号の名前
 和銅のことが初めて史料の上に現れた頃は、「にきあかがね」とも言っていました。「にき」又は「にぎ」とは奈良・平安の時代には「和」とか「熟」の字にあたり、「和銅」つまり「熟銅」ということで、非常に純度の高い自然銅のことだったようです。銭を鋳造するのもたやすかったのです。その貨幣の発行を記念してつけた年号が「和銅」なのです。

2.「和銅開珎」は日本最初の貨幣
「和同」「和銅」ともに「わどう」と読むので混乱をおこしやすいのですが、意味内容や使われ方には、はっきりとした違いがあります。学説はいろいろありますが、「和同」が銭の名前という事実は動かせないのです。


私作黒谷往来 倉林安雄家文書
下黒谷区 (現大下区) 全景図
 一枚の半紙に精々20文字から30文字位の、誠に大きな字で書かれた文書です。いつ頃、どのようにして書かれたかは未確認ですが、後掲の絵地図(青木成盛画)とくらべて、和銅史蹟周辺の往古を偲んでみたいと思います。今号では本文書の書き始めの部分を紹介します。(左=原文 右=註・関連事項)
 
元正天皇の御時より此郷はじまり諸人相応の地にして殊更よろしき御代の御祭こととさゝぬ折ふし黒陽御見物然るべく候先黒谷とかやハ一躰に守護なす聖大明神をはじめとして日本六十余州大じん小人を勘定して歩行和銅珎開駒引銭を製したる名地なり岩下にハ尼御前とて住終たる名穴あり大畑より急げハ程なく北の谷戸亀童しほの渕沢口ほらか峯三ツ石濱居場開久保丸山大久保にはたつ岩横岩を尋て下り野老澤三宮堂には山の神愛岩山稲荷白狐前に山神後にハ三峰山の御仮家也
 元正天皇(715年〜723年)の御世から黒谷は始まったと書いてありますが、「和銅」が献上された「和銅改元」(708年)の御時とすると、一代前の元明天皇(707年〜715年)の誤りかと思われます。聖大明神(聖神社)の加護の下、大変に住みよい地であって、「和同開珎駒引き銭」を製作した名高い所とも書かれています。それに続いて、黒谷の地形に沿い、伝説・言い伝えなどに従って地名を挙げ、ぶらりぶらりと歩き回るという趣向で村内をたどり、下黒谷は蓑山(箕の山、美の山)から、上黒谷の瑞岩寺に至るというのが、「黒谷従来」の内容です。
 今号に取り上げた中に出てくる地名等を見ますと、岩下、尼御前、大畑、北の谷戸、亀童(亀童池)しほの渕(清六渕)、沢口、ほらが峯(洞山)、三ツ石、浜居場(飯米場)、開久保(平久保、久王穴)、丸山(横道上)、大久保(萩久保)、たつ岩(立岩、上横よう)、横岩(横よう)、野老澤(所沢)、三宮堂、山の神、愛宕山(愛岩山とあるが、愛宕山の誤り)、稲荷白狐(伊奈利神社)、山神、三峰山の御仮家などがあります。(( )内は現在の呼び方、書き方とされているものです。)

(註)
和同珎開駒引銭(原文の「和銅」は明らかに「和同」の誤りですが、「和同珎開」はそのように読める駒引銭があるので、必ずしも誤りとは言えないようです。)
駒牽銭(こまひきぜに)「駒曳き銭」「駒引き銭」とも書かれ、「猿曳き駒」「唐人駒」などのように馬を主体にした絵銭です。通貨ではなく、財布に入れて、金のふえるまじないにしたもので、寛永から元禄(1624から1703年頃)にかけて民間で鋳造されたものです。


和銅保勝会のうごき−連絡・案内など−
和銅保勝会総会 2月23日(木)11時祈年祭参列・終了後総会(聖神社社務所)
美の山売店営業 4月1日(土)店開き〜11月末まで
美の山・山開き 4月16日(日)祭典執行

−和銅保勝会関連の事業予定−
1.和銅史跡周辺・金山登山道の指導標(案内板)の改修整備が3月上旬から始まります。
2.美の山及び和銅史跡・金山周辺の清掃と草刈り 第1回は3月下旬 (年間4回実施の予定)
3.和銅史跡、和銅鉱物館見学者の案内及び説明 申込みにより適宜実施(聖神社総代長・和銅保勝会長に申込み、了承の上、計画に従って実施する)

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