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WebGuide秩父は秩父のポータルサイトとして秩父のさまざまな情報を発信しています

記事掲載日 : 2012年4月13日

聖神社例大祭(秩父市)

埼玉県秩父市黒谷に鎮座する聖神社において、例大祭が取り行われました。

和同開珎が祀られている同神社は地元の人々からも銭神様と呼ばれ、お金儲けの縁起の神様として地元の人達に親しまれています。宝くじ祈願やビジネス開運祈願など多くの人達が訪れます。

 聖神社 春の例大祭_01 聖神社 春の例大祭_02 聖神社 春の例大祭_03

この日は、地元でもある「黒谷の獅子舞」が奉納され、訪れた人は縁起の良い同神社で御利益に授かろうとしていました。

 

記事掲載日 : 2012年4月4日

御田植祭(秩父市)

埼玉県秩父市の秩父神社において、「御田植祭」が行われました。

同神事は、埼玉県無形民俗文化財に指定され、毎年4月4日に行われます。

同神社で、春の農作業に先立ち豊作を祈願し境内を神田に見立て、苗代作りから種蒔き、田植え、収穫までの模擬的水田耕作を行います。

同神事は、埼玉県内では低地の稲作地帯には見当たらず、山間の秩父地方に伝承されていて珍しいとされています。

この日は平日でしたが、たくさんの観光客やカメラマンで賑わっていました。

 

秩父神社の詳しい情報はこちら→秩父神社

 

記事掲載日 : 2012年3月12日

山田の春祭り(秩父市)

3月11日に秩父市山田の恒持神社例大祭が開催されました。このお祭りは、「山田の春祭り」と言われ、秩父地方に春を告げる祭りとして有名です。

当日は午前11時頃には関係者や各町会の山車が恒持神社に集合して祭典が行われました。

 

同祭りでは、江戸時代より伝わる山組・本組(荒木)の屋台2台、上組(大棚)笠鉾1台が曳きまわされます。

午後は1時頃から曳きまわしが行われ午後3時ごろ御旅所である八坂神社で祭典が行われます。夜には花火も打ち上げられ、春の夜空を彩っていました。昨年は東日本大震災の影響で花火の打ち上げが中止されましたが、今年は予定通りに開催され関係者は安堵していました。

 ※取材にあたり山田の春祭り関係者の方々にご協力いただきました。

記事掲載日 : 2012年2月3日

ごもっとも神事(秩父市三峰)

秩父市三峰の三峯神社で今年も「ごもっともさま」の神事が行なわれました。

「ごもっとも神事」は五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿・子授け等の

祈願をします。

また今年は震災の復興祈願祭としても行われました。 

 

※取材にあたり三峯神社様のご協力をいただきました。

底冷えするような寒さの中でしたが、「ごもっともさまぁー!」の掛け声と共に多くの参拝客の熱気で境内は賑わっていました。

寶登山神社 節分追儺祭(長瀞町)

2月3日、長瀞町の寶登山神社で節分追儺祭が行われました。

本殿の前では蟇目(ひきめ)神事が取り行われました。同神事は神職が東西南北、中央に向けて矢を射ることによって、邪気をはらい福を呼ぶとされています。

同神社では毎年本殿の前で年男・年女が裃姿で豆まきをします。今年も沢山の豆がまかれ邪気を払い福を呼び込んでいました。

またそれだけでなく、地元の幼稚園のこども達も元気に豆をまいていました。

この日は今年の福に授かろうとたくさんの人で賑わっていました。

 

※取材にあたり寶登山神社の方々にご協力いただきました。

 

寶登山神社の詳しい情報はこちら→寶登山神社

秩父神社 節分追雛祭(秩父市)

秩父神社では10時から15時までの間、約1時間毎に鬼やらい豆まきが行われ、多くの参拝者たちが訪れました。

赤鬼・青鬼が境内の石畳に登場すると、あちこちから怖がった子ども達の泣き声が聞こえてきます。

その後、平成殿から年男・年女によって福豆や砂糖菓子の入った小袋にが撒かれ、観客達は小袋を得て福にあやかろうと一生懸命に手を伸ばしていました。

※今回の取材に当たり、秩父神社様のご理解とご協力をいただきました。

 

 

記事掲載日 : 2011年12月12日

八幡神社鉄砲まつり(小鹿野町飯田)

秩父路に本格的な冬の訪れを告げる、小鹿野町・八幡神社例大祭「鉄砲まつり」が12月10日(土)・11日(日)に行われました。※取材日:12月11日(日)

このお祭りは、元々は豊猟祈願や猟師の試し撃ちが起源とも言われています。

境内周辺では地元の人達による屋台歌舞伎の上演や屋台の引廻しも行なわれ、とても賑やかです。

また、神社へと続く参道には多くの露天が並び、地元の人はもちろん、多くの観光客が訪れ、普段は静かな山間の神社参道も、祭り関係者や見物客でごった返していました。

クライマックスは、11日夕方4時頃に行なわれた「お立ち」の神事です。まず最初に高張提灯を持った氏子、二組の大名行列が鉄砲の砲火を走り抜けた後、二頭の御神馬が石段を駆け上がる「お立ち」と言われる神事が始まると祭りの雰囲気は最高潮に達し、大勢の観客から拍手がおきました。このお祭りが終わると、秩父路には本格的な冬が訪れます。

 

 

 

記事掲載日 : 2011年12月6日

秩父夜祭り12月3日大祭(夜)の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

2日宵宮の様子はこちら

3日大祭(昼)の様子はこちら

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

午後7時頃、提灯で飾られた6台の屋台・笠鉾が、御神幸行列を先頭に約1キロ離れた御旅所を目指し、秩父神社を出発します。

秩父神社周辺や秩父駅前などはたくさんの人で賑わっていました。

御旅所の手前にある難所「団子坂」を屋台・笠鉾が登る時が、秩父夜祭のクライマックスです。重さ約20トンと言われる屋台・笠鉾が団子坂を引き上げられると、団子坂周辺の見物客から歓声が上がり、約7,000発の色鮮やかな花火が打ち上げられ秩父路の夜空を彩りました。

 

※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。

秩父夜祭り12月3日大祭(昼)の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

2日宵宮の様子はこちら

3日大祭(夜)の様子はこちら

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

3日午前中に予定していた下郷笠鉾・中近笠鉾の引き回しは午後のみの奉曳となりました。しかし昼過ぎには雨が上がり、多くの人出で賑わいました。

秩父市内各所で勇壮な秩父屋台囃子と威勢の良い囃子手の「ホーリャイ、ホーリャイ」の掛け声が響き渡りました。

 

 ※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。

秩父夜祭り12月2日宵宮の様子(秩父市)

日本三大曳山(ひきやま)祭りの一つとして有名な秩父神社例大祭(秩父夜祭)が

12月2日宵宮、3日大祭が行なわれました。

3日大祭(昼)の様子はこちら

3日大祭(夜)の様子はこちら

今年は大祭が土曜日にあたり、約26万5千人の人出で賑わいました。

2日~3日の午前中は雨天のため、屋台・笠鉾にビニールシートが被せられてしまいましたが、各町会の豪華絢爛な屋台・笠鉾が町内を曳き回されました。

 

※今回の取材にあたり秩父市役所観光課及び秩父神社、宮地、本町屋台関係者の皆様のご理解・ご協力を頂きました。

※秩父夜祭の由来

秩父神社の例大祭として行なわれている「秩父夜祭」は、寛文年間(およそ330年前)から始められ、別名「お蚕(かいこ)祭り」とも呼ばれています。周りを山々に囲まれ、やせた土地の秩父では、桑(くわ)の生育に向いていて、昔から養蚕が盛んでした。交通網など皆無だった時代に、生産した絹を江戸に売り込む方法として「絹市」が考えられました。そして、「市」に遠方から来ていただくお客様の接待として始まったのがその起源とされています。時代の流れで、今は絹市こそ立ちませんが、この祭りだけが残っています。